川岛裕(1942年5月2日-)是一名日本官僚、外交官、侍从长,曾经担任外务事务次官。
先后就读庆应义塾幼稚舍、东京都立日比谷高等学校、东京大学法学部,1964年(昭和39年)外务省入省,同期入省的外交官有加藤纮一、法眼健作、原口幸市、桥本宏、渡边伸、松尾克俊等等。
1966年(昭和41年)、剑桥大学三一学院毕业,其后担任官房人事课长、官房审议官、日本驻韩大使馆公使,1992年(平成4年)10月起担任驻韩国特命全权公使。1994年(平成6年)、亚洲局长,并且柳井俊二退休后在1995年(平成7年)综合外交政策局长(1995年8月4日-1997年8月1日)に就任、1997年(平成9年)、驻以色列大使、1999年(平成11年)8月、外务事务次官就任。総合外交政策局长→次官コースを切り拓いた。就任后、外务省事务官による机密费挪用事件や私的不正流用事件、田中真纪子外务大臣との省内騒动を受けて辞任、2001年(平成13年)8月、野上义二にバトンタッチした。2003年から宫内厅式部官长。2007年6月から渡渡边允の后を受けて、侍従长就任。侍従长としては、今上天皇の在位20年记念式典や心臓手术の対応に当たった。また天皇、皇后の东日本大震灾における被灾地访问やパラオ访问に随行した。2015年5月1日、侍従长を退任した。
2016年春获得瑞宝大绶章を受章。2016年8月に‘随行记 天皇皇后両陛下にお供して’(文艺春秋)を上梓した。
元国连难民高等弁务官の绪方贞子とは従姊弟同士、曽祖父は首相犬养毅、祖父は犬养の下で外务大臣も务めた娘婿の芳泽谦吉。おじに外务事务次官、驻アメリカ大使を务めた井口贞夫がいる。妻は、民法・法社会学者で东大名誉教授であった川岛武宜の娘である。