中村 政则(1935年12月17日-2015年)是一名日本历史学家,专门为日本近现代史。一桥大学名誉教授,被成为“最后的讲座派”教授,曾经担任牛津大学客席教授等职位。
出生于东京都新宿,祖父出身于埼玉县。1961年毕业于一桥大学商学部,1963年修毕一桥大学大学院经济学研究科修士课程修了、66年同博士课程单位修得退学,取得一桥大学经济学博士。大学时代属曲棍球部,师从一桥大日本经济史讲座断绝后到任的古岛敏雄(兼为指导教官)、永原庆二。
1966年起担任一桥大学经济学部専任讲师,1970年起同助教授、1977年同教授、1979年担任哈佛大学东亚研究中心客员研究员、81年以“近代日本地主制史研究 资本主义と地主制”为题取得经济学博士。89年担任牛津大学日产日本研究所及圣安东尼学院客员教授。1994年一桥大学附属图书馆馆长。1999年一桥大定年退官、名誉教授、牛津大学客员研究员、2000年哈佛大学客员研究员、2001年起直到2006年担任神奈川大学经济学部・大学院历史民俗资料学研究科历史民俗资料学专任特任教授。
国立历史民俗博物馆展示计划委员(新常设展示室“现代”担当)。冲绳岛战役中的集体自杀问题で、“最高裁でまだ判决が出ていないので、慎重にするべきだ”と発言(→大江健三郎・岩波书店冲縄戦裁判、家永教科书裁判)、展示から军命や强制があったとする说明が削除される一因を作り、高嶋伸欣から“大いに反省すべき”、林博史から“レベルが问われる”など、批判を受けた。
在太平洋战争期间,作为淀桥第三国民学校(现新宿区立西新宿小学校)在学中的学生到草津町旅馆日新馆学童疏开。日本投降后返回新宿被5月27日东京大空袭烧毁、不在复见的自宅敷地以及2公里以外的伊势丹百货,这种经验让他担任“九条科学者の会”的召集人。
2011年顷から体调を崩していたが、2015年、肺がんのため东京都内の病院死去し、府中の森市民圣苑で葬仪が行われた。79歳没。
指导学生包括大门正克(横浜国立大学教授)、森武麿(一桥大学名誉教授)、疋田康行(立教大学名誉教授)、佐藤正広(一桥大学教授)、庄司俊作(同志社大学教授)、浅井良夫(成城大学教授)、千田稔(イオンド大学教授)、柴田善雅(大东文化大学教授)、西成田豊(一桥大学名誉教授)、松本俊郎(冈山大学教授)、铃木恒夫(学习院大学教授)などがいる。大枝宏之(日清制粉グループ本社社长)、田中全(元四万十市市长)、大竹愼一(ファンドマネージャー)なども中村ゼミ出身。